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東京家庭裁判所 昭和42年(家)1522号 審判 1968年3月11日

申立人 山口静子(仮名)

相手方 山口春雄(仮名)

主文

申立人と相手方とを離婚する。

当事者間の長女宏子(昭和四〇年九月二八日生)の親権者を母である申立人と定め、同人において監護義育する。

相手方は、申立人に対し、右宏子の養育費として、昭和四三年三月以降同児が義務教育を終えるまでの間、一ヵ月金一万円ずつを毎月末日限り当庁に寄託して支払うこと。

理由

一、本件記録添付の戸籍謄本、調停期日における当事者双方の供述内容および本件調停手続の経緯を総合すると、つぎのような事実を認定、窺知することができる。

(一)、申立人(昭和九年三月一四日生)と相手方(昭和三年三月一八日生)とは、昭和三八年五月二四日挙式のうえ結婚、事実上の夫婦生活にはいり、同年六月一四日正式の婚姻届を了した。

(二)、その後申立人は昭和四〇年九月二八日長女宏子を儲けたが、その頃から当事者間の夫婦仲が徐々に円満和合の度を欠くにおよび、ことに、昭和四一年八月頃右宏子が健康を害し、東京○○○○大学附属病院で診断を受けた結果、心臓疾患が発見され、申立人が同児の療養のため、母子相伴い実家に帰居したことが相手方の心情を刺激し、爾来完全な別居生活にはいつたまま今日に至つている。

(三)、以上のような経緯の中で、申立人の相手方に対する愛情と信頼感は日を追うて冷却化の一途をたどり、他方、相手方は、申立人がもつぱら実家に依存しその支配下にあつて、夫である相手方との距離感が徐々に深刻の度を加えたことに強い不満を懐いていた。

(四)、かくて、申立人は、もはや夫婦としての連帯感を形成する希望をうしない、意を決して、昭和四二年四月五日当庁に調停離婚を申立てた。

(五)、そこで、当裁判所調停委員会は、本申立にもとづき調停を試みたところ、申立人は、終始離婚を主張するのに対し、相手方は、離婚に踏み切ることに躊躇を示し、さらに、本件当事者の心理的葛藤の背後には、当事者双方の実家間の拮抗がシリアスな要因を形成し、相手方が、適応性に富んだ態度で、「申立人の実家」に対する考え方を改める努力を尽くすならば、当事者間の夫婦関係を調整しうる見込みが存するのではないかと窺われる点もあつたため、当庁家庭裁判所調査官によるマリッジ・カウンセリングを行なわせ、調整の可能性を測定したのであるが、遺憾にも、前記葛藤要因の除去は殆んど不可能に近い状況にまで進んでいることが判明した。その結果、相手方も離婚の途を選ぶほかないとの意向を表明するに至つた。

しかしながら、相手方は、前記宏子の親権の帰属乃至申立人が親権者となつた場合における養育費の支払いに関し、申立人の要求と異なる意向を堅持しているため、ついに調停成立の見込みがない実情にある。

二、叙上の事実関係乃至調停経過にかんがみると、申立人は、当事者間の婚姻生活を再建してゆくための基本的前提ともいうべき相手方に対する愛情を完全に喪失し、かつ、当事者間の葛藤要因の中核をなす両当事者の育成環境の隔差から派生する生活感覚の喰い違いを緩和するには、相手方の自覚に待つべき要素が少なくないところ、その点に期待を寄せることもほぼ絶望的に近く、申立人と相手方との婚姻関係はもはや破綻状態に陥つているもの、すなわち、婚姻を継続し難い重大な事由があるものというほかない。

そこで、当裁判所は、一切の事情を観て、当事者双方のため衡平に考慮した結果、申立人と相手方とを離婚せしめるべきであるとともに、当事者間の長女宏子の親権者については、同児が病弱の身で現に申立人の手許で監護養育されていることに加え、同児の年齢等にてらせば、母である申立人と定めるのを相当と認め、さらに、同児の養育費の分担に関しては、申立人の実家が比較的裕福な境遇に恵まれていることを考慮に容れても、相手方が父親として応分の責任を尽くすべきはいうまでもなく、その金額を主文のとおり一ヵ月金一万円と定めるが、将来における事情の変更を勘案し、同児が義務教育を終了するまでの間その支払義務を確定し、該期限経過後の分担の程度・方法はその時点の諸事情にふさわしいものとなるよう、あらためて協議に委ねるべきであると考える(ちなみに、離婚給付については、本件にあらわれた一切の事情にかんがみ、本審判ではこれを定めない。)。

よつて、家事審判法第二四条にのつとり、調停委員池田一・同長谷和気子の意見を聴き、主文のとおり審判する。

(家事審判官 角谷三千夫)

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